伝わらない体温 【A】

 

「おはよぅ。兄さん

エドワードが目を覚ますと、その手はしっかりとアルフォンスに繋がれたままだった。

「アル!お前、ずっとこの体勢でいたのか!?一晩中・・・・。」

「大丈夫だよ、兄さん。僕は疲れたりしないもの。」

アルフォンスの唯一の感情用表現である声は、どこか寂しさを含んでいた。

(魂のみだから・・・・・。体がないから・・・・・。)

二人は声に出さずとも同じことを思い、同じように傷ついていた。

エドワードは気まずい沈黙を振り切るように、笑顔を作った。

「俺、風呂に入ってくるわ!!寝汗、すげーかいちゃったから。」

そう言うとエドワードは、部屋に備え付けの簡易風呂へ向かう。

「・・・・・そうだね。兄さん、すごい・・・・・・うなされてたから・・・・・・・・・。」

無機質に言うアルフォンスの言葉は、浴室のエドワードに届くことは無かった・・・・・・・・・。

 

エドワードは浴室で着衣を脱ぎ捨てると、自分の体に見慣れぬ痣がついているのに気づいた。

(なんだ・・・・・・これ?)

痣は首筋や鎖骨、胸に赤く散っていた。・・・・・・・・・・昨日の情事の名残だった。

(・・・・・・キ・・・ス・・・マーク?)

エドワードは思い当たる事実に顔面を蒼白にさせた。

確かにあの時は、ロイ・マスタングという男の存在を頭の中で否定していた。しかし、こうして残された情事の後を見つけてしまえば、ロイの存在を思い出すほか無かった。

エドワードは自分の犯した罪に身震いし、皮膚が赤くなるほど強く強く体をこすり洗う。

(消えろ!!消えろ!!)

「そんなに強くこすっても皮膚が赤くなるだけだよ。兄さん。」

背後から掛けられた声にエドワードはビクリと体を震わせる。恐る恐る振り返れば、そこには音も無く佇むアルフォンスの姿があった。

「嫌だ――――― !!」

エドワードは自分の裏切りをアルフォンスに見抜かれ絶叫した。自分の身体を・・・裏切りの証を隠すように両の手で自らを抱き座り込む。

そんなエドワードをアルフォンスは苦しく見つめた。エドワードの身体に残る独占の証・・・・・。本来なら自分がつけるべきものなのに・・・・・アルフォンスの肉体では不可能なことだった。

それはまるで[お前にはエドワードを愛する資格が無い]と言っているようで、アルフォンスは目を逸らした。

「・・・・・・・兄さん。・・・・・・マスタング大佐が好き?」

アルフォンスのその言葉にエドワードはハッとなった。

「違う!!そうじゃないんだ!!」

「じゃぁ・・・・・なんで?」

突き詰められる答えは、エドワードにとってもアルフォンスにとっても辛い現実だった。しかし、エドワードは隠すことが出来なかった。

「アルの・・・・・代わりになってくれたから・・・・・。」

アルフォンスは沈黙した。その鎧からは感情を読み取る術が無い・・・・・。

しかしアルフォンスには分かっていた。エドワードがアルフォンスと触れ合うとき、いつもどこか寂しげなことを・・・・・不安げなことを・・・・・。そしてアルフォンスもまた、エドワードの体温さえ感じることが出来ないこの身体が呪わしかった。二人とも望むものはアルフォンスの肉体だった・・・・・・。

「・・・・・・・・。」

アルフォンスは何も言わずエドワードに背を向けた。

『バタン』

一人残されたエドワードは声も無く泣き続けた・・・・・。

 

      

エドワードとアルフォンスの会話は目に見えて少なくなった。しかし、視界のなかに相手を確認しないと落ち着かないのも事実だった。

賢者の石を精製することは許されない。しかし、元の身体に戻る望みは捨てられない。八方塞がりだった・・・・・。

そんな八方塞の状態から小さな光が見出せたのはアームストロング少佐が訪ねて来た日だった。

「『真実の奥の更なる真実』・・・・・・・。そうか・・・・まだ何かあるんだ・・・何か・・・・・。」

賢者の石を精製したティム・マルコーの言葉を思い出し、エドワードの瞳に光がともる。

真実の奥の更なる真実を求めて・・・・・賢者の石が産声をあげたであろう場所=第5研究所に望みを託して。

第5研究所への侵入・・・・・。それは、思いもよらない波紋を広げることになった。

 

その晩エドワードとアルフォンスは、二人きりで第5研究所に忍び込むことにした。

使われていないはずの建物に門番。そして研究所への入り口は、木の板で打ちつけられ侵入を拒んだ。

仕方なくエドワードはアルフォンスを残し、一人通気孔から侵入した。

「一人で大丈夫?」

アルフォンスが心配そうにエドワードに声をかける。

「大丈夫もなにも、おまえのでかい図体じゃここ通れないだろ。」

エドワードは強がってみせたが、お互い少しの間でも離れることは不安だった。

「んじゃ、ちょっくら行ってくる。」

「兄さん!」

通気孔に入ろうとするエドワードに声をかける。

「ん?」

「気をつけて・・・・・。」

アルフォンスは振り返ったエドワードの唇に自分のそれを軽く押し当てた。・・・・・・一瞬の口づけ。

顔を赤くして頷くエドワード。二人は今、元の身体に戻れる一縷の望みにかけて走り出していた。

 

エドワードと別れ一人、兄の身を案じるアルフォンスは頭上に殺気を感じた。

頭上から降ってくる大きな包丁を寸でのところで回避する。・・・・・バリー・ザ・チョッパー、彼との戦いが、これからのアルフォンスの心に影を落とすことになる。

「おとなしく斬られやがれってんだ・・・このデカブツ!!痛くしねェからよ!!」

「んな事言われても・・・・・・・・・・。」

バリーの猛攻でアルフォンスは石につまずきバランスを崩す。バリーはすかさず包丁をアルフォンスの肘関節に突き刺す。が、包丁はアルフォンスが関節を曲げるといとも簡単に砕けた。

「うェ!?」

驚くバリーの顔面にアルフォンスの掌底がヒットする。するとバリーの頭は胴体を離れ転がった。

「!?その身体・・・・・・」

バリーもまたアルフォンスと同様に魂のみの身体なのであった。

今まで犯した殺人の武勇伝を自慢げに話すバリー。死刑囚となってからは第5研究所の門番をする代わりに魂を鎧に定着させる契約を交わしたと言うバリーに、アルフォンスは自分の頭を持ち上げて見せた。

「ギャー!!わー!!なんだその身体!!変態!!」

バリーが大げさに驚いてみせる。

バリーは、アルフォンスが死刑囚では無いのに魂のみの姿で練成されていることに疑問を投げつけた。

「ちょっとワケありでね・・・・。僕の兄が魂を練成してくれたんだ。」

「兄貴!げっへっへっへ。そうかい兄貴が!げひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!!」

寂しそうに話すアルフォンスの言葉に、バリーが狂ったように笑い出す。

「何?」

「いや悪ィ悪ィ。ところでおめェ、兄貴を信頼してるか?」

「当たり前だよ。命がけで僕の魂を練成してくれたんだもん。」

「おうおう、兄弟愛てのは美しいねェ。たとえ偽りの愛情だとしても!」

「どういう意味?」

「おめェら、本当に兄弟なのかって事よ。」

アルフォンスはムッとして言い返す。

「そりゃ性格が違いすぎるとか弟の僕の方が身長高いとか言われてるけどさ・・・・・。」

「いやいや、そういう意味じゃなくて・・・・・。おめェよ・・・・・・・その人格も記憶も兄貴の手によって人工的に造られた物だとしたらどうする?」

アルフォンスに衝撃が走った・・・・・。

その言葉はアルフォンスの存在を根本から否定するものだった。しかし兄と同様に錬金術を学んできたアルフォンスには、その言葉に納得してしまうだけの知識があった・・・・。

 

その頃のエドワードは真実に近づきつつあった。アルフォンスと同様に魂のみの身体を持つ兄弟二人組みの殺人気スライサーは、エドワ−ドとの戦いに負けを認め置き土産をわたそうとした。

「石については知らんがそれを作らせていた者・・・・・すなわち我々にここを守るよう言いつけた者の事ならば・・・・・。」

「それは誰だ!?」

エドワードの胸が高鳴る。

「そいつらは――。」

『ゴスン!!』

スライサー兄の魂を連結する血印が黒く長い2つの放物線によって壊される。

「!!」

その長く黒い放物線が風を切って持ち主に戻る。長く黒い放物線、それはラストの爪であった・・・・。

エドワードの目の前に現れたラストとエンヴィーは、あっさりとスライサー兄弟を始末した。

ラストが思い出したようにエドワードを振り返る。

「初めまして。鋼のおチビちゃん。ここにたどり着くとは流石だね。ほめてあげるよ。でも、まずいもの見られちゃったなぁ・・・・・。やっぱり、あんたも殺しとこうか?」

「こ・・・・の・・・」

「お?」

スライサー兄弟との戦いで満身創痍のエドワードが、息を切らしながら立ち上がる。

「あらー・・・やる気満々だよ。このおチビさん。やだなぁ、ケンカは嫌いなんだよね。ケガしたら痛いしさぁ。」

「チビチビとうるせーんだよ!」

エドワードは両の掌を合わせ練成の準備にかかる。

「てめェが売ったケンカだろが!!買ってやるから、ありがたく・・・・」

『ゴキン!!』

勢いよく響く右手の音は、機械鎧の故障の音だった・・・・・。

「な――――― !!?こんな時にィィィ〜・・・・・・・。」

『ドス!』

「げふっ!!」

エンヴィーは、エドワードの腹部に膝蹴りを喰らわした。

エドワードは遠のく意識のなかでアルフォンスのことを想った・・・・・・。

 

      

病院で目を覚ましたエドワードは、焦った。

(もう少しで真実がつかめそうだったのに・・・・。アルの身体を取り戻す方法が分かったかもしれないのに!)

しかし、未来を見つめるエドワードの視界からアルフォンスが姿を消した。

(アルが・・・・・おかしい。)

確かに一時は、エドワードの裏切りと賢者の石を精製出来ないという現実に二人の間はギクシャクした。・・・・が、第5研究所に侵入するときにアルフォンスはエドワードに口づけをくれたのだ。一人で戦うエドワードのお守りとして・・・・・。あの時のアルフォンスとは何かが違った・・・・・・。

それは、いつものようにエドワードの嫌いな牛乳が昼食に出たことがきっかけとなった。

「嫌いなものは嫌いなの!だいたい牛乳飲まないくらいで死にゃしねっつーの!こう見えてもちゃんと伸びてんのによ。みんなしてちいさいちいさい言いやがって!
・・・・・・アルはいいよな。身体がでかくてさ。」

「僕は好きでこんな身体になったんじゃない!!」

アルフォンスの悲痛な叫びに空気が震える。

「・・・・好きで・・・・・こんな身体になったんじゃない・・・・・・・・。」

タイミング悪く部屋に入ってきたウィンリィに気づき、気まずい沈黙が流れる。

「あ・・・・・悪かったよ。・・・・・そうだよな、こうなったのも俺のせいだもんな・・・・。だから一日でも早くアルを元に戻してやりたいよ。」

「本当に元の身体に戻れるって保証は?」

アルフォンスが冷たく言い放つ。

「絶対に戻してやるから俺を信じろよ!」

「『信じろ』って!!この空っぽの身体で何を信じろって言うんだ・・・・・!!錬金術において人間は肉体と精神と霊魂の3つから成るって言うけど!それを実験で証明した人がいたかい!?[記憶]だって突き詰めればただの[情報]でしかない・・・・。人工的に構築することも可能なはずだ。」

アルフォンスは心は疑心に満ち溢れていた。

「おまえ何言って・・・・。」

「・・・・兄さん前に僕には怖くて言えない事があるって言ったよね。それはもしかして僕の魂も記憶も本当は全部でっちあげた偽物だったって事じゃないのかい?
ねぇ兄さん。アルフォンス・エルリックという人間が本当に存在したって証明はどうやって!?
そうだよ・・・ウィンリィもばっちゃんも皆で僕をだましてるって事もあり得るじゃないか!!どうなんだよ兄さん!!」

『ガン!!』

エドワードが机を叩く。机に乗せられた昼食が驚いたように飛び跳ねた。

「―― ずっと、それを溜め込んでたのか?・・・・・・言いたいことはそれで全部か?」

「・・・・・・・・・。」

「―― そうか・・・。」

エドワードは寂しそうに呟くと静かに部屋を出ていった。

エドワードが部屋を出ていくとウィンリィは泣きながらアルフォンスを怒った。泣きながら、エドワードがアルフォンスに怖くて言えないこと=「アルがエドを恨んでるんじゃないかって事」をアルフォンスに教えた。

(僕は何を疑心暗鬼になっていたんだろう?・・・・・・たった一人の愛する兄より、会ったばかりのバリーの言葉を信じるなんて・・・・・!・・・・僕が兄さんを好きなこの気持ちが偽物な筈が無い!この気持ちは僕だけのものだ!!)

アルフォンスはエドワードを追いかけた。エドワードの行き先は分かっていた。

(兄さんは悲しいことがあると、空を見上げるから。)

アルフォンスは屋上を駆け上がった。

『カシャ』

屋上の扉を開けると、エドワードは柵に寄りかかり空を見ていた。

「・・・・・・・・・。兄・・・・・・」

「そういえば!・・・・しばらく組手やってないから体がなまってきたな。」

アルフォンスが声をかけると、エドワードはアルフォンスが追いかけてくることなど分かっていたかのように話しだす。

「へ?」

突然の話題にアルフォンスは戸惑う。

「まだ傷が治ってないのに何言ってんだよ・・・・・。」

そんなアルフォンスにはお構い無しにエドワードは攻撃を始めた。

「わぁ!?・・・・・ちょっ・・・。待った!待った兄さん!!」

攻撃を始めたエドワードに焦るアルフォンス。

「傷口が開いちゃうよ!!」

アルフォンスは防戦一方でエドワードの傷の心配をする。

「・・・っ!?」

突然、アルフォンスの視界が真っ白になった。エドワードが屋上に干してあったシーツをアルフォンスに被せたのだ。

『ガン!!!』

鋭いエドワードの蹴りがシーツを被ったアルフォンスの頭に炸裂する。

『どがしゃあ!』

勢いよく倒れこむアルフォンス。

「勝った!・・・・・・へっへ・・・初めてアルに勝ったぞ。」

肩で息をしたエドワードが、嬉しそうに言う。

「・・・・・ずるいよ、兄さん。」

「うるせーや、勝ちは勝ちだ!」

二人は大の字になって屋上に寝転がる。

「・・・・・・・小さい頃からいっぱいケンカしたよな、俺たち。」

エドワードが昔語りのように呟く。

「うん。」

「今思えばくっだらねぇ事でケンカしたよな。」

「二段ベッドの上か下か・・・・とかね。」

「あの時、俺負けたな。・・・・・・・・・ 全部うその記憶だって言うのかよ。」

涙ぐむエドワードの言葉にアルフォンスの胸が締めつけられる。

「・・・・・ごめん。」

「イーストシティでお前言ったよな。『どんなことしても元の身体に戻りたい』って。あの気持ちも作り物だったって言うのか?」

「・・・・・作り物じゃない。・・・・・・・・どんなことをしてでも元の身体に戻って・・・・・・この手で兄さんを抱く!」

互いに起き上がり、真正面から相手を見る。嘘偽りのない誓いだから・・・・・・。

「これしきの事で揺らぐようなぬるい心でいられっかよ!」

一生懸命に涙をこらえるエドワードの姿をアルフォンスは愛おしく感じる。

アルフォンスは、その鎧の腕でエドワードを優しく抱きしめ誓う。

「絶対に元の身体に戻る!」

アルフォンスの胸のなかでコクコクと頷くエドワードの耳に、アルフォンスは声を殺して囁く。

「・・・・・戻ったら兄さんが泣き叫んだって許してやらない。・・・・覚悟してね?浮気はもう許さないから。」

アルフォンスの言葉にエドワードは少し恐怖を感じるも、嬉しさでまた涙が溢れた・・・・。

 

 

 

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