「お前・・・・・・、誰だ?」
庭木からヒョコっと顔を出して、自分を見上げる小さな瞳に景吾は当たり前の疑問を投げかけた。
Dreams come true....1
午後の温かな日差しが差し込む跡部家の庭で、景吾はアフターヌーンティーを楽しんでいた。
いつも傍らにいるはずのは、春休みを利用して景吾の母親としばらくイタリア旅行だ。
本場のオペラ見学をしている。
景吾が一緒に行こうと思っていたが、景吾の母に「たまには女同士でゆっくりしたいわ」と言われてしまえば景吾も黙るしかなかった。
1週間のイタリア旅行中、景吾は久しぶりの一人の時間を過ごすことになる。
まだ一日目だと言うのに、景吾は退屈を持て余していた。
「ふぅ・・・・・・・。」
読みかけの小説から、顔をあげる。
前から読みたいと思っていた小説だが、文字は頭を素通りしてまるで集中できなかった。
『ガサガサガサ・・・・・・・』
すると白い花をつけた庭木が、笑い出したように奇妙に揺れだした。
野良猫が迷い込んだのか・・・・・そう思った景吾が近寄ると勢いよく黒い塊が出てきた。
「!?」
その黒い塊がグルリと反転し、小さな瞳と目があった。
「お前・・・・・・、誰だ?」
見た事の無い少女が、庭木から顔を出しているのだ。当たり前の疑問である。
「だよ。」
「・・・・・・。」
確かに景吾は誰であるかを尋ねたのだから、彼女の言い分は間違いでは無い・・・・・。
景吾は溜息を吐くと、未だに地面に転がったまま顔だけ出している少女の身体を抱き起こした。
少女の背格好からして5〜6才のようだった。
着ているものは決して貧相なものでは無い。
少女らしいフリルのついた白いブラウスにチェックのスカート。
肩より少し長い髪を一房づつ両脇で結わいて、あとは背中に垂らしている。
「どこから入ってきたんだ?」
「しやない・・・・・・。お花いっぱいのとこ、ず〜っと行ったの。」
の返答を聞き、無意味なことを聞いたと景吾は後悔した。
「お父さんとお母さんの名前分かるか?」
「・・・・・・しやない。」
景吾は困ったように、自分の眉根を指で押さえた。
仕方なく指を鳴らして執事を呼ぶ。
警察に届けを出すようにと、近所で迷子がいないか確かめるように言った。
改めてを見下ろすと膝に擦り傷があるのに気づく。
ここまで来るときに擦ったのだろう。
「おい、チビ。・・・ついて来い。」
そう言って、歩きだしてもはついてこなかった。
「・・・おい?」
「はなの。チビじゃないの。」
「・・・悪かった。・・・・来い。」
名前を呼ぶ。は、それだけで満面の笑みを浮かべてトコトコ景吾の元に走っていった。
走ってくるを見て景吾は、我慢強いな・・・と思った。
「膝、痛くないのか?」
「???」
は景吾の言葉に首を傾げた後で自分の膝を見た。
「あ!ケガしてる!!」
今、気付いたようだ。
みるみるうちにの眦に涙が浮かぶ。
景吾は焦った。それで無くとも子供は苦手なのだ。
景吾はをヒョイと抱き上げて顔を覗きこんだ。
「抱いていってやるから・・・。泣くな。すぐに治療してやる。」
は景吾の優しい言葉を聞き、うるんだ瞳で小さく頷いた。
二人の後姿を白い花が匂い立つように見送った。
部屋に戻り、メイドに治療させようするとは泣いて嫌がった。
そんなわけで、景吾自らに治療しなくてはならなくなった。
「痛くしないで・・・・?」
が景吾を見上げて懇願する。
「あぁ。安心しろ。痛くしない。・・・・・、口を開けろ。」
景吾の言葉に素直に口を開ける。
景吾は先ほどのメイドが置いて行った、お菓子の類からイチゴミルクのキャンディーを取り出しの口に放り込んだ。
「あまーい」
は頬を綻ばせた。
景吾は子供の世話など煩わしいはずなのに、何故か笑ってしまっている自分に気づかないでいた。
優しく消毒をし、バンソウコウを貼る。
その間は固く目を閉ざしていたが、痛いと泣くことは無かった。
「終わったぞ?」
景吾はそう言うと、我慢した褒美のように頭を撫でた。
「あのね。全然痛くなかったよ?」
「そうか、偉かったな。」
は景吾の掌をくすぐったそうに笑った。
「あのね、お名前は?」
唐突にが真剣な顔で景吾に聞いた。
「名前?・・・・お前はだろう?」
景吾はの記憶が混乱しだしたのかと思い、の名前を告げる。
「うん。は。のお名前じゃなくて、お兄ちゃんのお名前だよ。」
の返答にようやく合点が着いた景吾は、改めて自己紹介をした。
「俺・・・か。俺様は跡部景吾だ。」
「・・・・けーご?」
は景吾の名前を呟き首を傾げた。
「俺様の名前を呼び捨てにするとは・・・・・まぁいい。には許してやる。」
景吾は笑って、に『けーご』と呼ぶことを許した。
その時、景吾の部屋の内線が鳴った。
「どうした?」
『警察の方が、事情を伺いたいとお見えです。』
「分かった。応接室に向かう。」
『畏まりました。』
景吾は執事と短い会話を交わすと、内線を切った。
「さぁ、行くぞ。」
を促すと、は景吾の手を握ってきた。
誰かと一緒に歩く時の癖なのだろう。
しかしの手と景吾の手では、あまりに大きさが違う為景吾の指2本のみは握って歩き出した。
応接室には、二人の警察官が来ていた。
部屋の雰囲気に圧倒されているのか、額にうっすら汗をかいている。
「お待たせしました。」
景吾はそう言うと、警察官の向かいのソファに座った。
も景吾と一緒にソファに座ったが、奥行きの広いソファには悪戦苦闘してしまう。
景吾はそんなに気づき、の体を抱き上げソファの背にもたれるように座らせてやった。
「早速ですが、発見した時のことを教えていただけますか?」
警察官は20才は年の違う少年に、恐縮しながら質問した。
「庭で本を読んでいたら、庭木の中から出てきました。」
簡潔な景吾の返答に警察官は、「なるほど・・・・・」などと意味不明の返答を返す。
別の警察官が今度はに質問をした。
「お嬢ちゃん、名前は?」
「・・・・・・・。」
「年は分かるかな?」
「・・・・・・・。」
押し黙るに、警察官は困惑した。
見かねた景吾が、を促した。
「。分かることだけで良い。お前の名前はだって教えてやれ。」
は景吾の言葉に小さく頷くと、やっと口を開いた。
「お名前はです。5才です。」
ほぅ〜っと溜息を吐いた警察官は次の質問をした。
「ちゃんは、どんな色の家に住んでるの?」
「白いの・・・。」
「お父さんとお母さんと暮らしてるの?」
「そう。」
「お父さんかお母さんの仕事分かる?」
「ん〜ん。」
「お父さんとお母さんの名前知ってる?」
「お父さん・・・。お母さん・・・。」
「ちゃんの通ってるのは幼稚園?保育園?」
「おにわ保育園」
そこまで聞いて警察官は目を輝かせた。保育園の名前が分かれば、調べるのもそう難しくない。
警察官が書類をまとめだし、に言った。
「そうか〜。ちゃんは、おにわ保育園に通ってるんだね。」
「じゃ、もうすぐお母さん迎えに来てくれるから、おじさんたちと行こうか?」
その言葉を聞くと、はソワソワしだした。
「けーごも一緒?」
は泣きそうな瞳で、警察官や景吾を見た。
景吾と警察官は、お互いを困った顔で見合った末・・・・・・。
「あぁ。一緒に行く。」
は大きく息を吐き、安堵を示した。
そんな大人のような仕草に、周りの大人たちは思わず笑みを浮かべた。
連れ立って交番に行き、『おにわ保育園』を調べてみると5年前につぶれた保育園だった。
それ以上の手がかりはは覚えていないらしく、警察官は途方に暮れた。
警察が出来ることは、もう2つしか残っていない。
をポラロイドで写真に撮り、近所の人に地道に聞き込みをすること。
の保護者からの捜索願いを待つこと。
日も沈みかけ、のお腹がグゥ〜と鳴った。
警察官はそれに気づき、に言った。
「ちゃん、お腹空いたよね。何か食べよっか。」
はその言葉に小さく頷く。
警察官は、の隣にいる景吾に向き直り頭を下げる。
「跡部さん、ここまでありがとうございました。もうこんな時間なのでお帰り頂いても・・・・。」
警察官のその言葉に、景吾はすぐに返答できなかった。
子供は苦手な筈なのに、のことが心配で仕方ないのだ。
しかし発見者とは言え、部外者である自分には何も出来ない。
景吾はそう考え、頷いた。
「・・・・・そうですね。では、後はよろしくお願いします。」
景吾が携帯電話で迎えの車を呼ぶと、車は数分で交番に辿り着いた。
「じゃぁな、。」
「え!?」
は自分も景吾とあの屋敷に帰ると思っていたのだろう。
景吾と一緒に車の傍まで来たものの、一緒に乗せてくれない景吾に驚いた。
は大きく目を見開き、次いで不安げに大人たちを見渡した。
それに気づいた警察官がを優しく引き止める。
「ちゃんは、今日は迷子センターに泊まるからね。
大丈夫だよ。優しい人ばかりだから、安心してね。」
は、それを聞いて暴れだした。
「やーの!!けーごのそばにいるの!!」
「・・・・。また明日、会いに来る。」
景吾は自分の言葉が信じられなかった。
(そんなにものことが気に入ったと言うのか・・・・?)
は、景吾の言葉に押し黙った。
「じゃ、また明日な・・・・・。」
景吾はの頭を撫でると車に乗り込んだ。
は黙ったまま、それを見送った。
景吾は後ろ髪を引かれる思いだったが、運転手に車を出すよう命じた。
車が走り出したその時・・・・・・
「やーーーーーーー!!けーーーーごーーーーーー!!!やーーーーーーー!!!!」
泣きながら車を追いかけてくるの姿が、バックミラーに映った。
は足がもつれてうまく走れないのか、すぐに転んでしまう。
「けーーーごーーーーーー!!!うわぁ〜ん!!!」
は地面から起き上がれずに、顔だけ上げて景吾を呼び続けた。
幼い頃、両親不在が多い跡部家で、母を泣きながら探した記憶が景吾に蘇る。
大人には分からない、子供の悲惨な寂しさ、不安、恐怖・・・・・・・。
「止めろ!!」
景吾は車から降りると、の元に駆け寄った。
「バカだな・・・・・・。また膝を擦りむくぞ・・・・・・。」
景吾は優しく泣き続けるを起こし、その腕に抱き上げた。
は景吾の首に腕を回し、もう離れるものかと泣きながらきつく抱きついた。
「けーごー・・・・・・。っく・・・・・・・ひっく・・・・・うぇ・・・・・。」
そんなの想いが伝わったように、景吾はの背中を安心させるようにポンポンとあやした。
「は跡部家が預かります。警視総監の方に父から許可を頂きますのでご安心ください。」
オロオロと景吾とを見守る警察官二人に、そう言い残すと景吾はを抱いたまま車に乗った。
と二人車に乗り込むと、景吾はすぐに携帯電話で父親に連絡を取った。
景吾の父には、2回のコールで繋がった。
『景吾か。珍しいな。どうした?』
「頼みがあります・・・・。迷子を屋敷の庭で発見しました。警察には連れて行きましたが、保護者が見つかるまで跡部家で面倒を見たいんです。」
『ほぅ・・・・・。珍しいこともあるな。
分かった、警察には私の方から話をつけよう。』
「助かるよ、親父・・・・。」
『景吾の滅多にない頼みだからな!今度家に帰ったら、その可愛い迷子を見せてもらおう!!』
景吾の父は無理な頼みを笑って引き受け、その電話を切った。
「・・・・・。」
未だ景吾と離されると思っているのか、は景吾にぴったりとくっついたまま呼びかけに頭を上げた。
その瞳には涙の痕跡が、未だ隠せない。
景吾はに笑ってやると、優しく告げる。
「安心しろ。警察に許可は貰った。俺様が最後まで面倒見てやる。」
「???けーごと一緒にいられる?」
には少し難しい説明だったようだ。
「あぁ。ずっと一緒だ。」
は安心したように微笑むと、そのまま景吾の腕の中で寝息をたて始めた。
(いろいろあって疲れたんだな・・・・。)
景吾は運転手にゆっくりと運転するように命じた。
屋敷につくまで、その腕の中の温かさを味わうように・・・・・・。